*いきなりポッキリ*

平凡な学生生活が一瞬でかわった…!?

そろそろ春に戻る

 

久しぶりに記事を書く

 

私は何に関しても長続きしたことはなく、このブログもそう

気が向いたときに更新する

 

最近人生を流されるがまま生きている気がする

この2020春は、なんとなく応募した海外プログラム2つのせいで

 

親に借金をし

金を稼ぐためにインターンを始め

その海外活動とインターンのせいで就活がおろそかになっている

 

一番頑張らなくちゃいけないことが就活なのに

就活<インターン<海外

の現実がある。やばい。

 

そもそも手を出していることが多すぎて、もう収集つかなくなっているのだ

かといって頑張りもせず、大学1年生の春休みばりにだらけきった毎日を送っている

 

 

 

私は自分で自分の首を絞めていることが多い

なんとなく始めた、ノリと勢いで入った団体やプログラムに、やる気が続かず、あまりコミットしなくなってその分馴染めなくなって、だんだんフェードアウトしていく

この連続だ

 

バイトも、サークルも、海外研修も、インターンも。

日記も、学部も、就活も、

 

全てそこまで覚悟せずに面白そうだから始めちゃってるから

何もかもが中途半端に終わってる

私は過去の自分のテキトーな決定によって、束縛されている

 

私にとって一番難しいことは

「継続すること」

 

全てのことにおいて、何かを続けることは、本当の意味でその人を最強たらしめるのだと思う。

 

就活で

強みはなんですか?

特技はなんですか?

 

初対面で

趣味は何?

何サークルに入ってるの?

 

これらの質問に堂々と答えられる人間は本当に強い。

真の意味で、強い。

 

本当に継続してきたことはなかったのか、自分の中を振り返ってみると

例えば小学生のピアノの習い事、3年間(飽きて練習しなかった)

水泳3年間(そこそこできたし楽しかったけど選手にはならないし中学でやめた)

絵を描くこと12年間(友達に見てもらいたいから、今はやってない)

口笛w3年間(高校生で極めていた)

バイオリンかビオラ8年間(長いけど今はやってない。やりたいとも思わない。)

 

全てのことにおいて、これは好きで続けてます!って言えることがマジでなんもない。

 

あ、一つあった

読書。

本を読みたい衝動は大学生で時間ができてからよくあって、

留年して病んだときとか、失恋したり嫌なことがあったりすると本を読んだ。

本とか他の人が書いた記事っていいよね。その人と会わずしてその人が1しょうをかけて考えてきた貴重なことが短時間で知ることができる。

ずるい、コスパのいい本。本は裏切らないし、世界を広げてくれる。

 

でも相変わらず期限とかにはルーズで、図書館はだいたい延滞続き。

それでも1回5冊以上は毎回かりる貪欲さはある。

 

 

今後もたくさんの本を読みつつ、でもちゃんと生きていきたいと思う。

だって今は、本を読んでいるだけで、ちゃんとしていない大人だから。

 

 

 

仙台→東京 ヒッチハイク コミュ障女子大生2人でもいけた話

2018年4月8日日曜日

20歳の女子大生二人組で東北旅。

その帰りに 費用を浮かせる&いろんな人と話す ためにヒッチハイクで帰ることにした。

友人は、ヒッチハイクに失敗して翌日学校を休むことになるリスクを背負いつつも

挑戦することに笑

(私の頼みです。ありがとう。)

 

朝8時ごろ

仙台東インターから出発

 

なんと初っ端からラッキーなことに

前日にゲストハウスで話した人に東インター前のミニストップまで送ってもらった

「職場の方向と同じだから乗っけて行くよ〜」

ありがたい・・・!!

 

仙台東インターはここ

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3方向からインターへ道が伸びていて、直進車、右折車、左折車が入って行く場所だった。

インター前のミニストップ店内で画用紙を書いたあと

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 いざスタート!

 

ミニストップ前で雨の中、傘をさしながら「相馬」と書かれた画用紙を掲げる。

ひたすら掲げる。

 

運転手と目線を合わせて、「お願いしまーす」とお辞儀し続ける。選挙カー有権者に訴えているようだった。

寒いから2人でひっついて、お互い励ますように話しつつ。

案外緊張しなかった。ヒッチ2回目の私はともかく友人も落ち着いた様子で最初は掲げていた。

始めて15分

申し訳ないという風な仕草をしたり、笑って手を振ってくれたりする運転手もいたが、なかなか止まらない。

速度を緩めてくれる運転手もいるが、やはり止まらず。

 

 

始めて30分

雨が降り続ける。寒い。かなり寒い。

4月ということもあり、少し油断してきた私たちの服装は、外に長時間いるのに最適な格好ではなかった。

 

画用紙を持つ手を高く上げて見たり

左折車だけを狙う作戦にして場所を変えて見たり

色々試行錯誤して見ても車は止まらなかった。

 

雨の日にやったからいけなかったのかな

寒いしお腹痛いし、このまま外にいるのはきついかも

風寒いし指の感覚なくなってきたし・・・

時間決めて、時間内に来なかったら高速バス予約しようかな・・・・・・・

 

 

そう諦めかけた矢先だった。

 

途中すれ違った人に、

「方向違うから乗っけてあげられないけど、頑張って!!」

と私たち二人にあったかい「おーいお茶」をくれたのだ!

 

心も体もあったまる〜〜〜

ありがたい!

お茶をゲットした私たちは、15分ほど休憩したのちに再開。

 

今度は目的地を「東京」と掲げて、場所も信号すぐそばの角に立つことにした。(下の画像の水色の丸)

これで信号待ちの車にもアピールできると思ったからだ。

 

1時間して、左折車が1台止まってくれた。

「福島まで行くよー」

 

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福島在住の親子だった。

宮城県に単身赴任しているお父さんのとこに行って帰る途中だったところを乗せてもらった。

福士蒼汰に会いに東京までよくきているそう。

う、やばい!

芸能人ネタ疎いんだった!!

そう、私たちは女子大生を名乗るのが恥ずかしいほどに芸能関係には疎いのだ!!!

しどろもどろしつつ、なんとか会話をつなげる二人・・・

 お母さんが質問を投げかけてくれたおかげで会話が続いた。

「どこの大学ー?」「将来は何になりたいのー?」「東京で有名人に会ったことはあるー?」

 

友人の前で将来の話をするのは恥ずかしかったが、自分の考えと向き合ういい機会にもなった。

有名人の話は、唯一見たことがあるピース綾部の話をした。笑

お母さんにはなぜ乗せてくれたかを聞いた。

「女の子二人だから乗せてあげようと思って〜」

よっしゃー

女子同士でやっててよかった。

その後も学校のことや地元のことを話し、わざわざ車の多い福島県の安達太良SAまで乗せてくれた。

 

安達太良SA

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そこで30分程休憩

休憩中も画用紙の文字をさりげなく見せておきつつ(意味なかったけど)

いざ出発

画用紙を掲げた5分後・・・なんとすぐに停まってくれた!

 

「鎌倉まで行くけど乗るかーい?」

 

驚くことに、2台目で東京まで乗せてもらうことになりました!!

 

乗せてくれたのは鎌倉に行く途中の仙台出身おじいさん二人

 

自分の名字の由来を探しに行くらしい。

普段から苗字辞典というのを持っていて、自分の苗字の由来が名だたる武将だったという。

「鎌倉の図書館へ行って、そこの人に由来を探してもらうんだ」

なんて面白いんだ・・・!

 

他にも

苗字はどこ出身なのか、仙台の海では何が釣れるか、働き盛りだった昔の話、最近冷たい娘の話などなど・・・会話が面白く途切れない方たちだった。何より人生楽しそうに生きているのが伝わってきて、自分もこんな風になりたいなと思った。

でも一番印象的だったのが震災の話。

自身の親戚も多く亡くなったそうで、震災以降、故郷の土地に一度も帰れていないそう。計り知れないほどの胸中の悲しみを察した。

 

結局最終的に東京のとある駅前まで送ってもらった。ありがたや。

 

しかし今回のヒッチハイクには反省がある。

実は朝のコンビニでお腹を冷やしたあまり、

2台目あたりで体調を崩して私は一言も発することができなくなってしまったのだ・・・なんと情けない。

おじいさんたちが優しくて話してくれる人でよかった。

友達にももうしわけなかった。(私からヒッチハイク誘っておいて、だ笑)

 

天候と体調が万全な時にやるべし。

ただでさえ気力がいる行為なので。

 

 

 

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*友人が気を使って会話を率先してやってくれた。申し訳ない。

 

あとはSAから出発する方が一般道より格段にやりやすかった。

仙台東インター開始では場所を3箇所ほど試してやっと乗せてもらえた一方で

安達太良SAでは5分と待たず乗せてくれた。

SAの方が方面もはっきりしているし、停車場所が広い場合が多いため、運転手にとっても敷居が低いのかなあなんて思った。

 

いずれにせよ、私たちは2台の車の運転手のお世話になり、無事東京まで帰ることができました!

 

結果

車:2台

協力してくれた人:親子2人、60代男性2人

ルート:仙台東インター→常磐自動車道東北自動車道→安達太良SA→練馬駅

費用:練馬駅から最寄り駅までの電車賃

 

学んだこと:体調天候には気をつけるべし、SAからのが簡単かも

 

 

 

 

トラウマ

私目線で話します。

昼休憩を終え、少し登ると、あとは永遠と続く下り坂でした。

 

本当に、少しの隆起もない、どこまでもどこまでも続く下り坂だったのです。

ああ、怖いなあ…

嫌な予感はしていました。

それでも、車の運転と同じ要領で、毎回カーブが来る前にスピードを落とそうと頑張る。少し平坦になったらそこで止まろう。そう思って走っていました。

前の人たちはずっと先に進んでいるから自分が先頭。先頭、怖いな。でもゆっくり行こう。

 

手に全身の力を込めて力一杯ブレーキをに握りしめる。

なんとかカーブを曲がる。

またカーブが来る。

 

一旦落としたスピードもあっという間に上がっていく。

え?なにこれ止まんなくない?

濡れた道路、どんどん上がるスピード、後ろからくる車、寒さにかじかむ手

 

気づいたら私は恐怖に囚われていました。

毎回カーブが来るたびに手に全身の力をかけて力一杯ブレーキをに握りしめる。

それでも、かろうじて曲がれる速度に落ちるだけで、全然遅くならないのです。

怖い、怖い。涙が滲み、手が震えて来ました。

パニック状態に陥った私は、これは一度止まって落ち着けるしかないと思いました。

必死にブレーキを握りしめるものの手の握力はもう限界だった。腕の筋肉は疲労し寒さで力が入らなかった。

 

どんどん早くなっていく。。。

 

 

気づいたら対向車線に出ていた。一歩間違えれば即事故、即死。そんなことすら考えられなかった、とにかく止まりたい!!止まれない!!!!

恐怖で周りが見えなくなっていたのです。

「止まらないーっ!!」

恐怖のあまり叫び出す。

「寒さに手がかじかんで力が入らないのかも!」

仲間が言う。それならどうしたらいいのよーーー!!!

本当に怖かった。もう手に力が入らない。私はもう死ぬかもしれない。

あ、カーブだ

 

「あのガードレールに体当たりすれば止まるんじゃないかな」

 

私はその時一瞬、そう考えてしまったのだと思う。

あまりにも浅はかでバカな考え。

あの時少しでも、延々と続く下り坂に立ちはだかってみようという勇気があれば、そんなことはしなかっただろう。

今でもなぜそんな選択をしたのかわからない。

 

ただあの時の私は、とにかくこの地獄から抜け出したかった。止まりたかったのだ。

 

結果、ガードレールに衝突し、身だけ放り投げられそのまま崖下に30メートル落下。途中で意識失い、気づいたら崖下でうつ伏せになっていました。

 

あ、私落ちたんだ…

 

上体を起こそうとする

うあっ・・・なんだこれ

背中全体が重い違和感と鈍痛で、その場で座ることができなかった。

 

崖上から「おーい、気づいたら手を振ってー!」声が聞こえた。

手を振った。人が何人かいる。おそらくサークルの仲間だ。

その後すぐにサイレンの音が近づいて救急車が崖上に止まった。

救急隊員が数名、降りてこようとしていた。

 

こうして私はサークル合宿から一変、入院生活へと切り替わることになったのです。

 

この日の紅葉のまぶしいほどの赤は、私にとって毒々しく鮮紅な血の色に見えたのでトラウマです…^^;

 

 

 

 

 

入院経過

入院中、暇なもので。

何か新しいことを始めようと思い、入院経過や手術、入院生活諸々について書き留めていこうと思い、ブログ始めました!

自分も入院中、入院した人のブログをたくさん漁って参考にしてきたので…!

コメントも気軽にくださると幸いです。

続くかなぁ…続くといいなぁ笑

 

 

まず入院した経過から話そうと思います。

 

病気で休むことなどなかった、至って健康体な19歳の私がなぜ入院したかというと…

ロードバイクでやらかしたからでした笑

 

忘れもしない11月4日

私が入っているロードバイクのサークル合宿で、

紅葉を見に栃木の日塩もみじラインまで来ていました。

 

体力ないのにロードバイクにハマり始めた私は

ハマったとはいえ、いつも走るのは川沿いとか市内の観光目的。

その実は体力がなく坂道が超絶苦手な、エセロードバイカー(?)なのでした。

しかしちょろいルートばかり楽しんでいた私は、いつしか坂道が苦手だったことを忘れ

事前調べを怠ったのもあり、山道である今回のルートを選んでしまいました。

 

栃木県日光市藤原 ~ 那須塩原市塩原

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私が望めるようなランではなかった、と現地へ行ってから超絶後悔するわけですが

気づいた頃にはもう遅く、グループのまとまりをちぎりながら休憩やたら入れながら超絶迷惑野郎として走ることになってしまったのです…^^;

 

ロードバイクで走る紅葉「ラン」なのに

途中からロードバイクを押して登る紅葉「ウォーク」になってしまいました。

もう本当に同じサークルの人には迷惑をかけたと思います。

 

その日の午前中は果てしなく続く(ように思えた)登りで

私の選択ミスに続き

持って来た自転車が壊れていたり

途中から雨が降り出したりなど

悪条件が連なり…

 

昼休憩の頃には体温は完全に奪われ、ヘトヘトになっていました。

今思い出しても、あの「登り」は私の人生で受験の次に辛い困難でした。(人生ヌルい)

空腹の限界を超えた後の、あの時の天ぷらそばの美味しさは今でも忘れられません。

体もしばらくそこにいるとあったまり、服も乾き、お腹も満たしたところで

「お、この合宿そろそろ楽しめるんじゃない?♪」辛いことの後には楽しみがあると信じていた私は期待を高めます。

 

しかし本当の地獄はそこからだったのです…

 

(続く)